like a Cat - 悩んだり進んだり、また悩んだり -

社長を同居人に持つ私の日々の生活日記。

回想挫折日記。そして回復へ。

中学生ぐらいまで、私はそこそこ何でもできる子だった。

勉強も水泳もピアノも体育も。足が速かったからモテたりもした。

親に迷惑をかけないとてもいい子だった。

中学に入り、体型が気になり出す。でも勉強はできた。バレー部もいつもレギュラー。ピアノも続け、地元の先生の紹介で都会の音大の先生にも習い始める。

当時人気だった進学校へ入学。モットーは「文武両道」。部活は強制ではないが空気的に入らないとこの高校へ来た意味ナッシング。でも音大を目指す流れになっていたので運動部には入れず茶道部へ。

勉強にまったくついていけなくなる。自分の本当の実力がわかる。(中学は田舎だったので他に比べる対象がなかった。完全に井の中の蛙)

自信なくなる。内にこもる。何事にも消極的になる。同時に親というものは人間なんだから絶対に正しいとは限らないと悟る。

自分の進路にも自信なくなる。本当に音大に行きたいのだろうか?私は親の敷いたレールを走っているのか?

気づくのが遅く音大受験→合格

音大でさらに縮こまる。努力し続けなければ居られない場所だった。

高い学費に見合わないやる気と実力。加えて「何のために・・」と無駄に考え、がむしゃらに練習することをしなかった。

努力しなけりゃ認められない。

結果、彼氏とバイトに逃げる。単位と年度末の実技試験だけなんとかクリアし息切れしながら卒業。

ずっと習っていた先生にお礼もしなかった。音大で何も学ばず。

就職はバイトをしていたとんかつ屋。レストランのホール、キッチン、店長代理業務など忙しく過ごす。接客は楽しかった。お客様にもほめられる。常連さんとお話できる。2年弱働き、店長になる手前で退職。理由は「カフェを自分で開く」

退職後、カフェのバイトに落ちすぐあきらめる。

ハローワークで募集していた職業訓練を受けることができ1年間、福祉の勉強をする。久しぶりの勉強はとてもやる気になった。

1年後、ある社会福祉法人に入社。

利用者さんとの関わりはとても素敵だったけど、働く環境が好きではなかった。2年働き、晴れて退職。理由は「結婚を視野に入れて彼氏の仕事を手伝う」

今に至る。 

職業がなく自由に時間を過ごしていると、色々な自分に出会う。

小学生の自分は、絶好調の天狗様。

中学生の自分は、はにかみ大根。

高校生の自分は、泥沼亀子。

大学生の自分は、色ボケカツ太郎。

当時を思い出すだけでいたたまれなくなったり後悔したりする。

社会人になってからは割と人間らしく過ごしてきた。一人暮らしも始めて親との距離もできた。

そして現在の私は、無責任人生女。です。自分の人生に責任を持ってないから。

新しい事を学ぶのは楽しいけれど、よく理解できなくて苦しい思いもする。

そんな時、私はすぐに投げ出してしまうのだ。「合ってない」と。

何度も投げ出しているうちに、どんさんに指摘される。

「合ってないというのは口実でホントはできない自分を認めるのがこわいだけだろ」→大泣きする。

その後、もう一件別の事件でも同様の指摘をされ、ついに気がついた。「私ってプライドが高いんだ」「プライド」なんて私には無関係だと思っていた。

どんさんの自分の経験からプライドというものを教えてもらった。

プライドとは、だいたいは他人から見た自分。見栄とか。いい意味もあるけど。

自分の選択に責任がない。人の目を気にして自分の立ち位置が決まるから大胆な行動ができない。

ということだった。

私は本当に人の目を気にしてしまう。人に嫌われたくないから自分の意見をあまり言わなかったりする。

結果、自分って何なんだろうと見失う。

仕事を辞める理由、「もっと別のことをしたい」「合わない」「つまんない」の裏返しはそうした自分のプライドを傷つけない言い訳。

とても恥ずかしい気持ちになった。

小学生でちょっといい経験をしたばっかりに自分に過ぎた自信がついて、それを引きずったまま挫折し、「こんなはずはない」と自分を守り、色々な事、人に自分の選択を責任転嫁してきた。そして「自分を理解してくれる人がいない」と嘆いていた。

これからはもう少し変われる気がする。

どんさんは「プライドをなくすと自分の人生に責任を持てる」と言った。

自分の人生は誰かのものじゃない、自分で舵を取って進むものなんだ。

三十路手前にしてやっと気付いてきた。まだ間に合うよね。

いつか今までの自分を全部認めてあげて、人生舵とり音楽おばさんになりたい。